〔V〕変革のとき | ||||||||||||
【聖心会の刷新】 昭和42年(1967)、ローマで開かれた第二ヴァチカン公会議の方針にしたがって、聖心会は会の刷新と現代化への対応を打ち出した。 1800年以来中世のしきたりをほとんどそのままの形で守り通してきた聖心会が、167年を経て、初めて時代の変化に対応しようとする姿勢を明らかにしたのである。まさに画期的なことであった。 従来「修道院」は、俗世間から隔絶したものとされていた。いわば俗界を見おろす高みにあって、ひたすら祈りに明け暮れる修道生活の場であった。 そしてその建物の一角に子どもたちを預って寄宿学枚を経営し、キリストの愛の精神を心として一人一人の子どもを大切に教え育てて将来の良妻賢母をつくり、その家庭人としての役割を通して社会に貢献させることを使徒職としてきたのが聖心会である。 しかし20世紀後半の現代では、女性の社会に果たす役割は変わってきた。変動する現代社会に適応できる女性でなければ、人類の進歩と平和のために貢献する社会人とはなれない。世間から遠ざかった修院の壁の内側にこもったままでは、そういう新しい女子教育が困難な時代ともなってきた。 こうした新しい視野に立って、聖心会の使命をいま一度見つめなおし検討した結果、会そのものの刷新と現代化が決議されたのである。 この決議以来、聖心会の修道生活の変貌は目を見張るばかりに急かつ激であった。まず、厳格な意味でのクロイスター(囲い)がとりはずされた。従来マザーと称していた修道女の敬称が総長以外はすべてシスターと変わり、外出も許されるようになった。このため服装は大幅に簡略化され、目的によっては修道服以外の私服も認められるようになった。 神を見失いつつある現代人のなかに入りまじって、”神の国”を説き、”愛の心”を広めようと外に向かって活動しはじめたのである。 しかしながら、変わったのは方法と姿勢だけである。「教育」が聖心会に与えられた大きな使命であること、およびその教育の根本理念については、その後の総会でも繰り返し強調され確認されている。 |
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《合宿訓練》 学校合宿と夏期学外合宿とがある。学校合宿は、中学新入生全員を対象として44年4月より始まったもので、中学教育の基本的な態度を修得させるとともに、教師、友人との親睦をはかることを目的とする。校長訓話、御ミサ、校舎案内、生徒心得、図書館利用、生徒会やクラブ活動などの説明、体育、音楽、清掃など。 一方、夏期合宿は、①自然に接して心身の健康を高める、参加者相互の親和と協力による人間関係を深める、団体生活によって規律と責任と全体への奉仕の精神を養う、などを目的に44年より海岸や高原山岳で小・中・高校それぞれに行なわれている。 《奉仕活動》 本校の伝統的な活動で、従来は十字軍として行なわれていたが、生徒会の創設以来、直属の奉仕部が中心となって自主的に種々の活動を行なっている。近郊の各種施設の訪問、奉仕、街頭募金、内外の被災地への物資および資金救援、歳末助け合い運動への物資発送など。これら奉仕活動の資金確保のために、生徒たちは毎年クリスマス・パーティを催している。また、学校の奉仕活動のほか、個人的にあるいはグループで、自主的に社会福祉活動を行なっているものもある。 |
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【はばたく”聖心の子どもたち”】 この間昭和46年には、シスター伊庭がシスター・キオに代わり初めての日本人管区長に就任、小林においてはシスター若松が修院長になり、42年以来修院長兼任で激務に追われたシスター竹井は校長専任となった。これを機にシスター竹井は、同年夏から約6ヵ月間アメリカを はじめ数ヵ国の教育を視察した。なお44年4月、シスター竹井は宝塚市教育委員会委員に任命され地元教育界においても活躍、現在に至っている。 また46年度より、小学校新1年と6年卒業生の記念植樹が始まり、小林の学院をとりまく緑はいよいよ濃く鮮やかになった。生徒会の発足以来、生徒たち自身の手で運営されてきた文化祭も、年ごとにテーマの選択や展開に創意工夫がこらされるようになったが、46年の統一テーマは「生きていますか?」というものであった。 小学校の1年生から高校3年生までおよそ1,000人の一人一人が生きるとはどういうことかを考え、自分の生き方をふり返って見つめ直す機会をもったことの意義は大きい。 価値観の多様化した現代では、画一的な教育は無意味であり、むしろ弊害の方が大きい。一人一人が自分の能力を出しきって生きることができるよう、傍から助言なり示唆なりを与えてやるのがこれからの教育のおおすじであろう。 そういう意味では、少人数をていねいに教育してきた聖心の伝統は理想的といえる。第2ヴァチカン公会議以後聖心会の刷新はめざましいものがあり、学院も大きな変革を遂げつつあるが、長い伝統のうち価値あるものは当然受け継がれていかねばならない。 こうして、21世紀を生き抜くべき生徒たちは”新しい皮袋に盛られた古酒”ともいうべき聖心の新教育理念にそってはぐくまれ、鍛練されている。 一昭和48年、小林聖心女子学院は創立50周年を迎えた。古い伝統を大切忙しながらも、その時代時代のよさを取り入れ、小林聖心はその成果をあげつつある。 新しい“聖心の子どもたち”のはばたきがいまも小林の丘の上に聞こえている。 |
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